「都立高校入試へのスピーキングテスト導入」に伴うアピール

<附録:都教委との架空インタビュー(最悪のシナリオ)>
 事実に基づいたフィクション

久保野:ESAT-Jの音読問題に、may have seenという表現が出てきます。これは、中学校で学習しない内容ではないですか?

都教委(以下「都」):都内で使われている教科書の一部で「助動詞+現在完了」という表現の記載があります。

久保野:New Horizonの1年次の歌Take Me Home, Country Roadsの歌詞を指しているのですね。「表現の記載がある」と言いますが歌詞は「授業で学習した範囲」とは言えません。その証拠を示します。New Horizonは、2年次でshouldが3年次でbeenを新出単語として登場します。これは、「should, beenは1年次で学習した単語ではない」という証拠ですよ。加えて、New Horizonを採択している地区は都内の3分の1未満です。都内公立中学生の7割近くは、この歌詞を目にしていません。一部の生徒以外は見たことすらない文法事項を入試に出すのは、不適切で不公平です。一部の教科書でしか使われていない内容を入試で問うのは「出題ミス」ではありませんか?

:文法を理解していなければ解答できないという内容ではないので、問題があるものとは認識していません。

久保野:2022年3月に行われた兵庫県の公立高校入試で、such as …「…のような」という熟語が出題されました。しかし、この熟語は一部の教科書にしか登場していないため「中学生が習わない熟語」と判断され「出題ミス」という結論に至りました。その結果、当該問題は受験生全員を正解扱いとしています。この前例を踏まえると、may have seenも「中学生が習わない」文法事項なので、採点対象から除外すべきではありませんか?

:may, have, beenのいずれの単語も既習事項であり、意味を取ることもできます。

久保野:may have seenの意味は取れませんよ。そもそもmay have seenは「過去に関する推量」を表すと、どうしてわかるのですか? 先ほどの歌のI should have been home yesterdayの「助動詞+完了形」は「過去に実行しなかったことに対する後悔・反省」を表しており「過去に関する推量」ではありません。

:学習指導要領では「多様な表現を扱うこと」が求められています。「どのような文法を扱うか」「小中高どの段階で扱うか」を制限する趣旨とはなっていません。

久保野:珍妙な見解です。その「趣旨」は、指導要領のどこに記載されているのですか?具体的に指摘してください。小中高の指導要領のそれぞれで扱う助動詞の種類と用法が具体的に書かれていても無視して良いという根拠を。文法事項の学年指定が30年前に撤廃されたことと混同していないですよね?

:指導要領に基づき、都が定めた出題方針で出題しています。文科省も「指導要領は最低限学ぶ内容を示したものであり、入試にどう出題するかは実施者の判断である」と説明しています。

久保野:「高校の学習事項を中学生に出題しても問題ない」と都が判断した。それが都の出題方針だと宣言したことになります。中学生に対して「授業で学習した範囲から出題する」とこれまで説明してきましたよね。今後は都立高入試に備えるために教科書に出てこない事項も「授業で扱う」ことを中学校現場に要求することになるのですよ。ことの重大性が理解出来ていますか?国数英社理すべての学力検査も同様ですよね? ESAT-Jに対してだけ指導要領の解釈を特別に変える理由はないはずですから。「都立高入試で高校の範囲も出題される」となると、中学生や中学校現場は大混乱となります。都教委が事実を直視せずに詭弁を弄し続けたことにより、どのような惨禍が引き起こされるのか。その全責任を都教委は負うことになるのですよ。そこまでの覚悟を持ってことに当たっているのですか?

リンク
   東京都教育委員会

知2022

Posted by admin_wp