『学習指導要領』及び大学入試に対する意見(2020年)
Ⅷ.『中学校学習指導要領』(第2章 第9節 外国語科)について
1.「授業は英語で行うことを基本とする」について
「第2章各教科第9節外国語」(以下「外国語」)は、「3指導計画の作成と内容の取扱い」の(1)エにおいて、「授業は英語で行うことを基本とする」という「指導方法」に関する特定の言及は誠に遺憾である。すでに、「実施計画」や「五つの提言」が中学校でも「授業は英語で行うことを基本」という「指導方法」に関する特定の言及をしていることは到底容認できるものではないことは度々指摘してきた。『中学校学習指導要領解説外国語編』は「生徒が日常生活において英語に触れる機会が非常に限られていることを踏まえ、英語による言語活動を行うことを授業の中心に据えることを意味する。さらに、教師が授業中に積極的に英語を使用することが、生徒の英語使用を促すことにつながり、生徒とのやり取りが豊富になる」と記している。「五つの提言」にも「生徒が英語に触れる機会を充実し、中学校の学びを高等学校へ円滑につなげる観点から、中学校においても、生徒の理解の程度に応じて、授業は英語で行うことを基本とする」とある。現在、高等学校でも実施されたばかりであり、まだまだその検証さえままならないのが現状である。さらに、『中学校学習指導要領解説外国語編』には「小学校の外国語活動における教師や児童の豊富な英語使用の実態や、それを経験した児童の英語が使えるようになりたいという学習意欲の高さ」との記述があるが、これが本当に現状を反映したものか、甚だ疑問である。指導内容とその指導時期・指導方法については様々な考え方があり、これを特定せず、教員が自主性・創造性を生かすことができるようにすべきである。これは、『学習指導要領』を概要にとどめない限り実現が極めて困難である。
以上のことを最初に述べておきたい。
2.「外国語」の授業時数について
外国語の授業時数は、引き続き『学習指導要領』では各学年年間140時間(「週当り4時間」)である。一定の評価をするものである。
外国語の授業時数について、私たちはかねてより、「中学校における『外国語』の授業時数は、各学年年間『最低140時間』と規定し、週当たり最低4時間を確保すること」を求めてきた。「外国語」の授業は十分な授業時数を確保して、「コミュニケーションができる」ようにすべきである。そのためには、中学校における「外国語」の授業時数は各学年年間「最低140時間」と規定し、週当り「最低4時間」を確保すべきである。「週当たり最低4時間」というのは、たとえば、時間割の上では毎週5時間とし、学校行事等により授業が行えなくなる分を差し引いても週当たり「最低4時間」が保証されるようにする、ということである。1単位時間が50分であるとすれば週当たり200分の外国語授業を実現すべきであるということである。
そもそも、文部省が1947年3月に発表した『学習指導要領・英語編』は、その5章で次のように述べている。
「英語の学習においては、一時に多くを学ぶよりも、少しずつ規則正しく学ぶほうが効果がある。それで毎日1時間1週6時間が英語学習の理想的な時数であり、1週4時間以下では効果は極めて減る。」
なお、後述するように、この授業時数増を「非正規教員」の増員で実施しているため、「『3+1』時間」等で行われているとの報告もある。文部科学省の調査によれば、「中高一貫教育校」は2017年3月現在595校となり増加の一方である。その中で、外国語教育(英語教育)が特色の一つにうたわれ、その教育課程については「学校教育法施行規則」等で特例が認められている。一方、「教育課程特例校制度」等は『学習指導要領』によらない教育課程の編成・実施が可能である。その結果、学校によって外国語の授業時数が異なっており、一般の国公立中学校の生徒が不利益をこうむっている。
3.「外国語」の「目標」及び「内容」等について
今回、CEFRを受けて、「五つの領域別に設定する目標」となったことは、前述のように誠に遺憾である。それに基づいて、「内容」等の記述がなされていることを、まず指摘しておきたい。加えて、そのために、今までの「4技能」を「五つの領域」にしたことには納得がいかない。また、「『主体的・対話的で深い学び』の実現に向けた授業改善の推進」(『中学校学習指導要領解説外国語編』)を求めていることも許しがたい。
(1)「言語活動」「言語材料」等において特定の指定や指示を行わないこと。
先にも述べたが、私たちは「『学習指導要領』を教員のための一つの指針として位置づけ、その内容は概要にとどめ、教員や教科書その他の教材などを規制することのないようにすべきである」ことが正しい『学習指導要領』のあり方であり、詳細な指定が行われると実態に応じた教育を実現することが甚だしく困難であると認識している。
特に外国語教育においては、言語材料である文・文型・文法事項等の配列、学習すべき語彙また言語活動について、様々な考え方・指導方法があり、その特性を生かすためには、『中学校学習指導要領』において、言語活動・言語材料等の詳細な指定を行うべきではない。なお、すでに言及したように、今回の改訂で今まで中学校にあった言語材料の一部が『小学校学習指導要領』に機械的に「前倒し」された。また、授業時数が変わらないにもかかわらず、「ワーキンググループ」等での議論がないままに、事実上「言語材料」が増加したことは、誠に遺憾である。
ア)「①言語活動に関する事項」を見直すこと。
いわゆる4技能の指導のあり方の指示については、様々な考え方・主張があり、これを一律に一つの手順に統一することはできない。例えば、「話すこと」に「関心のある事柄について、簡単な語句や文を用いて即興で伝え合う(話す)ことができるようにする」とある。すべての教科書が取り上げざるを得ない状況を生むことになる。同じ「外国語」の目標を達成するための様々な指導内容、指導方法、指導時期等を教員が創意工夫に基づいて採用することが困難になる。各学校において「評価規準」・「評価基準」の作成が求められている今日、限られた時間を有効に活用できるように、指導内容、指導方法、指導時期等は全面的に現場の教員に委ねるべきである。また、「CAN-DOリスト」推進の中で一律に「学習到達目標」として設定せざるを得ない状況を生んでいるが、現場の教員に委ねるべきである。
さらに、「実施計画」や「五つの提言」で「身近な話題についての理解や表現、簡単な情報交換ができるコミュニケーション能力を養う」との言及がある。「身近な話題についての理解や表現、簡単な情報交換ができる」ことがどれほど難しいかは、多くの人が経験し、実感していることである。今回、中学校では『小学校学習指導要領』を受けて、「日常的な話題」となったが同様である。中学校段階でこのことを求めるのは不可能である。再考を促したい。
イ)「②言語の働きに関する事項」を削除すること。
「言語活動」について再度「ア言語の使用場面の例」や「イ言語の働きの例」に様々なものが明示されているが、これは学校や生徒の実態に応じて教員が創意工夫によって多様な言語活動を実践することを阻害する恐れが大きい。また、横ならびにある『小学校学習指導要領』や『高等学校学習指導要領』も同様である。今回の改訂では、さらに詳しく、かつ細かい記述がされたが、ぜひとも止めてほしい。
ウ)「3(1)イ学年ごとの目標」について。
「3 指導計画の作成と内容の取扱い」に「(1)イ学年ごとに目標を適切に定め、3学年間を通じて外国語科の目標の実現を図るようにすること」とあることは評価する。しかし、『小学校学習指導要領』で「目標」が「素地」「基礎」と機械的に「前倒し」になったことを考え合わせると、前回の『学習指導要領』では「第1学年における言語活動」で「小学校における外国語活動を通じて音声面を中心としたコミュニケーションに対する積極的な態度などの一定の素地が育成されることを踏まえ」とあり、かつ「実施計画」も言及している「一定の素地」など育成されていない。むしろ、現に中学校入学段階で外国語(英語)嫌いが増えている。(従来は少なくとも90%の者が英語学習への期待を持っていた。)小学校で「教科化」が導入されると、ますますこの傾向が強まる可能性がある。今回、このことを強く指摘しておきたい。
エ)「[知識及び技能]ウ語、連語及び慣用表現」を削除すること。
前回の『学習指導要領』で「別表1」が削除されたことを高く評価する。語数の指示も廃止すべきである。語数については、1951年版では1200~2300語であったものが、少しずつ削減された。前回の『学習指導要領』では「1200語程度まで」と改訂前より300語増えた。今回、「小学校で学習した語に1600~1800語程度の新語を加えた語」となった。授業時数が変更されないままでの増加である。配慮すべきであった。「増加幅が大きく見えるが、小学校において中学年の外国語活動で扱ったり高学年の外国語科で学んだりした語と関連づけるなどしながら、中学校で語彙を増やしていくことを考えれば、言語活動の中で無理なく扱うことのできる程度の語彙であると考えられる」(『中学校学習指導要領解説外国語編』)との記述がある。小学校での音声中心の学習で十分定着しているとは考えにくい。理解しがたい記述である。さらに、語数の算出についての知見は、現段階までの英語教育の研究成果から得られていない。なお、学習すべき語彙については、様々な考え方・指導方法・指導時期等があり、これを特定せず、教員が自主性・創造性を生かすことができるようにすべきである。『中学校学習指導要領解説外国語編』には「受容語彙と発信語彙は一律には規定されないという点にも留意すべきである」との記述がある。これが広く一般に理解され、教科書が規制されないことを望む。また、『学習指導要領』にある「連語」「慣用表現」については、何をもって「連語」「慣用表現」とするか定説がない。「連語」「慣用表現」に関する指示は削除すべきである。
オ)「[知識及び技能]エ文、文構造及び文法事項」及び「指導計画の作成と内容の取扱い」について
前回の『学習指導要領』で削除されて、高く評価した「基本的なもの」や「理解の段階にとどめること」の記述が「平易なものから難しいものへと段階的に指導すること。また、生徒の発達の段階に応じて、聞いたり読んだりすることを通して意味を理解できるように指導すべき事項と、話したり書いたりして表現できるように指導すべき事項とがあることに留意すること」の記述が復活したことは誠に遺憾である。加えて、言語材料が、中学校において扱う言語材料と高等学校において扱う言語材料の2つに分けられていることについては、私たちは必ずしも納得しているものでないことを述べておきたい。
カ)辞書指導に関する指示「3(2)オ」を削除すること。
『学習指導要領』は「3(2)オ」において「辞書の使い方に慣れ、活用できるようにすること」と指示している。「初歩的な」や「必要に応じて」も削除された。さらに『中学校学習指導要領解説外国語編』は「効果的な辞書活用を促すことは、主体的で自律的な学習者の育成の観点からも、大切な要素である」と述べ、ますます辞書指導を必ずしなければならない記述になっている。辞書指導に関しても、教員がその指導方法により適切な時期に行うものであり、特段の指示は不要である。
キ)指導計画の作成や授業の実施に関する指示「3(1)キ」を削除すること。
『学習指導要領』は「3(1)キ」において「ネイティブ・スピーカーや英語が堪能な地域人材などの協力を得る等」と指示している。現場の意向を尊重し、後述する理由で削除すべきである。
ク)学習形態に関する指示「3(2)カ」のうち「ペアワーク、グループワークなどの学習形態を適宜工夫すること」という指示を削除すること。 『学習指導要領』は「3(2)カ」において「ペアワーク、グループワークなどの学習形態を適宜工夫すること」と指示している。実質的にはペアワークやグループワークを取り入れないわけには行かない状況が生じる。よって、教員の他の創意工夫が制限される危惧がある。
ケ)「第3款各科目にわたる指導計画の作成と内容の取扱い」の2(8)の「教育機器に関する指示」を削除すること。
『学習指導要領』は「3(2)キ」において「視聴覚教材やコンピュータ、情報通信ネットワーク、教育機器などを有効活用」を求めている。しかし、『中学校学習指導要領解説外国語編』にも「容易に教育機器に頼り過ぎたり、技術的な手法に懲り過ぎたりすることには十分注意が必要である」とある。言語学習の根本は人と人とが向かい合って一緒に考え、情報などを伝えたり求めたり、理解したりすることにあるのであって、これは教育機器などで代替できるものではないから、活用を強制すべきではない。この指示は削除すべきである。
コ)教材に関する指示「3(3)イ」を削除すること。
私たちは1987年の「要望書」において、「題材および題材の形式については、『教える英語の内容によって適切に選択されなければならない』旨の指示にとどめること。したがって、題材および題材の形式について、特段の指示を行わないこと。」と要望した。
『学習指導要領』「英語」の「3指導計画の作成と内容の取扱い」の(3)に「英語を使用している人々を中心とする世界の人々や日本人の日常生活、風俗習慣、物語、地理、歴史、伝統文化、自然科学などに関するもの」と記されている。今回、「観点(ア)」の記述では「我が国の文化」が「英語の背景にある文化」(現行は「外国や我が国の生活と文化」)よりも先に述べられている。これは「前答申」の「改正教育基本法等を踏まえた学習指導要領改訂」を受け、加えて、「答申」の「日本人として大切にしてきた文化を積極的に享受し、我が国の伝統や文化を語り継承していけるようにすること」を受けたと考えられる。さらに、「実施計画」には「日本人としてのアイデンティティに関する教育の充実(伝統文化・歴史の重視等)」の記述がある。『学習指導要領』では、教材について指示は行うべきでない。これらによって、「教科用図書検定基準」にも強い影響を与える危惧があるからである。
なお、2021年度から使用される検定教科書は、小学校との橋渡しをしながら、かつ、高等学校から中学校に移された新たな言語材料も含んでおり、「分厚い」ものとなった。