日本外国語教育改善協議会(改善協)のアピール(2019)-2

2019年に提出した、日本外国語教育改善協議会(改善協)のアピールです。

大学入学共通テスト民間試験導入に反対する理由

大学入学共通テスト民間試験導入に反対する理由

 日本外国語教育改善協議会(改善協)は、共通テストに民間試験を導入することに反対している。昨年度のアピール別紙に加えて、以下にその理由を述べる。

  1. CEFR本体は既に更新されており、民間試験導入の根拠にできない。
  2. Listeningの配点の理由は何か。
  3. 外部民間試験は有料で、受験生の追加負担になる。
  4. 公務員を民間の試験のために働かせるべきではない。
  5. 入試よりも教育内容が先にあるべきである。
1.CEFR本体は既に更新されており、民間試験導入の根拠にできない。
 共通テストはCEFR準拠といいつつ、CEFR本体の方が更新されている。つまり、CEFRを根拠にできなくなっている。
以下、
CEFR(2001): Common European Framework of Reference for Languages:Learning, teaching, assessment (Council of Europe, 2001)
CEFR(2017): COMMON EUROPEAN FRAMEWORK OF REFERENCE FOR LANGUAGES: LEARNING, TEACHING, ASSESSMENT COMPANION VOLUME WITH NEW DESCRIPTORS (Provisional Edition, September 2017)

について述べる。
 CEFR(2001)が、4技能のなかのSpeakingを2つに分けたのを見て、新学習指導要領では5技能とした。しかし、既にCEFRはさらなる細分化をしている。
 CEFR(2017) では、次の7つの技能になっている。 “Listening comprehension" “Reading comprehension" “Spoken interaction" “Written interaction" “Spoken production" “Written production" “Mediation" SpeakingとWritingが共に2分化し、Mediationという新しい技能が加わっている。
 また、CEFRは、技能分類にかなり否定的なことがわかる記述がある。(CEFR2017:31) (1)
“a move away from the matrix of four skills and three elements (grammatical structure, vocabulary, phonology / graphology) may promote communicative criteria for quality of performance."
(2)
“Indeed, the original version of CEFR Table 2 (self-assessment grid) was amended to merge written interaction and written production back into 'writing,’ giving rise to the widely spread but false notion that the CEFR promotes a model of five skills.
特に(2)は日本のことが念頭にあったのではないかと考えられる。
 文部科学省をはじめ教育関係諸機関にとっては、CEFRに学ぶものはたいへん多い。ただ、単なる模倣はできない。土台において、EU内のほぼ印欧語での多言語環境を想定するCEFRと、全く異質な言語の学習になる日本という根本的な違いがあるのだから、簡単に部分的模倣ができるはずがない。分析・考察する上で参考にすべきものがCEFRである 。

 
2.Listeningの配点の理由は何か。
 共通テストでのReading:Listening=100:100の配点の根拠は何か。
 公に解説されていないので推測に基づく意見になるが、4技能をバランス良く学ぶということを、単純にテスト配点を同じにすることと誤解したのではないかと考えられる。
 均等配点の必然性がない理由の例として、時間・速度について述べておく。Reading, ListeningはともにInputの能力であるが、このふたつは時間において全く性質が異なる。Readingは自分の速度でできるが、Listeningは速度や順番を選べない。図や表や文章を見ながら同時に聞き耳を立てるという慌ただしい並行作業が苦手な人は、聞く能力が高くても混乱してしまう。複数の情報処理が課されると、Listening能力の測定とはならない。
 もうひとつは、CEFRの記述がそもそもテスト用の基準でないのに、それをそのままテストに使えると誤解したことから生じた過ちではないか。CEFRの判断基準は、「~ができる」という書き方をしている。つまり、何らかの行為を観察対象にしている。何かの活動を外から観察して、「聞き取ることもできている」という判断をするにはよいが、その活動は、Listeningの能力だけで為されたものではない。ところが、それをテスト項目に使ってしまうと、実際には多種多様な能力を集めることで達成できていることが、あたかも聞き取り能力だけの結果であるかのように誤解され、テスト結果が一人歩きし始めてしまう。例えば、複数の買い物の支払いをする会話の問題で、英語が完全に聞き取れても計算を間違えると誤答になるのは、本当はListening能力どころか英語の能力さえも測っていない。しかし判定はListening能力の不足として扱われてしまう。
 Can-do記述がテスト用ではないことを理解することは重要である。CEFRの記述では、例えばOBTAINING GOODS AND SERVICESのpre-A1では、"Can make simple purchases and/or order food or drink when pointing or other gesture can support the verbal reference."となっている。つまり、Can-doは、複合的能力の結果としての行為ができることを表すものであり、旧来の4技能を切り離して測定するような考え方とは相容れない。このことを理解していないと、作り損ないで的外れなテストになってしまう。

3.外部民間試験は有料で、受験生の追加負担になる。
 共通テストの英語だけ、有料の民間試験が前提になるのは異常な事態である。受験者の追加負担はあってはならない。
 五教科七科目で、英語以外は共通テストの中で受けられる。英語だけ、別料金の追加負担を受験生に強いるのは不自然極まりない。
 民間試験を入試に入れる理由には、言葉の4技能を評価するということだけしか挙げられていない。そして、WritingとSpeakingを共通テストでやれないから外部民間試験に委ねるというものである。しかし、4技能を評価に入れる方法は他にある。2018年度の本協議会のアピールや東京大学の提案のように在籍校の調査書にA1~C2の記録を残せば済むのである。もし、学校外でのテストにこだわるにしても、共通テストの一部分で行えるように作ればよい。現時点でWritingやSpeakingの試験ができないのならば、できるようになるまで数年待って始めればよいというだけの話である。もちろん学校外にこだわらず在籍校の授業を通して行えば生徒の負担は少ない。現実にはB1以上の生徒はわずかで多くの学校ではA1とA2の二者択一になるので、高校に委ねても実務的な困難はない。また、学校教育の延長としてもそれが本筋である。
4.公務員を民間の試験のために働かせるべきではない。
 ここでの問題は、ひとつは民間試験の受験対策についてであり、もうひとつは入試事務作業に関してである。

(1)受験対策

 8種の民間試験から好きなものを選べるから公平だというのは、受験をさせられる側からの真実ではない。生徒たちが通う学校は対策を考えるだろうが、各試験向けに8通りはできない。対策の対象を絞らねばならず、その結果生徒に選択の自由はなくなる。高校、特に公立校では、受験料だけでなく教材類も低予算で可能なものしか受験対策の対象に選べない。それは、教員が民間試験を選ぶことでもあって、受験生の自由な選択ではないということである。もちろん、学校外の有料の対策塾に自由に通える家庭環境の子には選択の自由があるわけだが、経済力で進路が決まるというのは公教育の基本概念から外れている。
 学校で民間試験を選択しその対策をするのは、学校の教員が民間の営利活動のために働くということになる。しかも、それは文部科学省が授業時間内に民間試験対策授業をやれと学校や教員に要求するようなものになる。特に公立学校には大きな問題であって、教育公務員が民間試験を選択し、同時に民間試験のための活動をする立場に置かれるならば、教員は金銭や天下りなどのアプローチに晒されるので、民間試験導入はきわめて危険である。

(2)入試事務作業
 共通テストでは、センター入試で行われた志願票の学校集約・一括出願は廃止される。ところが、各学校が外部民間試験の受験用IDだけ一括申請する業務を残すという、必要の無い要求がなされている。各種試験の受験データは全てデジタル処理されるので、従来の書類提出は入学選抜には不要である。
 高校教員は、大学入試センターの試験を公的な非営利活動と考えるから受け入れている。しかし、民間試験に関わることは、営利活動への参加であり、禁じられてきた行為である。民間試験を導入するならば、学校に関わらせるべきではない。

5.入試よりも教育内容が先にあるべきである。
 入試を変えることで教育の内容を変えようというのは本末転倒であり、教育理念が無いことの表れである。入試・テストは最後の段階なのだから、学校教育の中で何をどう学ぶかを改善することが先である。
 今回の変更のポイントとして、以下の2点がある。

(1)4つの技能を4つとも評価する、つまりWritingとSpeakingを入れる。
(2)WritingとSpeakingのために、既存の民間試験を使う。

 共通テストは、いわば高校までの教育の出口である。そこにWritingとSpeakingを入れるという前に、授業の中でWritingやSpeakingの学習ができる状況を作っておくべきである。つまり、勉強したことを出口でテストする、という順序であるべきで、外部民間試験が必須だからその前にテスト対策授業でWritingやSpeakingをやれ、というのは逆である。そもそも、WritingやSpeakingの中身は、テストで測りがたい生徒個々の考えを創造的に表現することが期待されていたはずである。それをテスト対策に堕落させようという、理念の逆転が行われようとしている。
 WritingとSpeakingが学校教育で十分に広まらない原因を、「教員の指導が悪いから」と単純化し、「だから入試・出口のテストを変えて、それに学校を合わせさせる」と理屈付けしている。しかし、原因は教員の指導力不足だという前提の真偽から再検討しなければならない。教員以外の責任を隠しておきたい人たちのスケープゴートになっているのではないかということである。クラスサイズ問題や検定教科書の問題など様々な教育環境の不備があるのに、いつまでも教員個々の責任であるかのようにいうことは、もっと深刻な事実を覆い隠し、かえって改善の妨げになる。
 WritingとSpeakingは生徒のOutputである。つまり、それを聞く・読む人がいることで成り立つ。ある程度は生徒同士で活動させるにしても、かなりの時間、教師が読む・聞く立場になることが、生徒がOutputする授業の成立要件になる。それは、一人の教師が相手にできる人数に限りがあることであり、クラスサイズが重要になるのである。正しい順番として、入試でOutputのテストをしたいなら学校の授業で十分やっておくべきであり、そのためには授業でそれができる教育条件を用意すべきである。外国語クラスの縮小が先にあり、入試への導入は最後である。

団体名(略称および正式名称)
 語研=一般財団法人語学教育研究所
 新英研=新英語教育研究会
 GDM=GDM英語教授法研究会
 高独研=高等学校ドイツ語教育研究会

日本外国語教育改善協議会・2018年度世話人会

世話人会幹事  田島 久士 一般財団法人語学教育研究所
世話人 佐々木 力 高等学校ドイツ語教育研究会
池田 真澄 新英語教育研究会
中山 滋樹 GDM英語教授法研究会
事務局 大内 由香里  一般財団法人語学教育研究所

日本外国語教育改善協議会
  〒116-0013 東京都荒川区西日暮里6-36-13
            サザンパレス102 号室
       一般財団法人 語学教育研究所内

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