銃撃された少女 国連で演説 2013年(平成25年)7月13日[土曜日] 5時19分 パキスタンで女性が教育を受ける権利を訴え、去年、イスラム過激派に銃撃され頭に大けがをした少女、マララ・ユスフザイさんが、ニューヨークの国連本部で演説し、女性と子どもの権利を守り、等しく教育の機会が与えられるよう世界の人々に訴えかけました。 マララさんは、去年10月、パキスタンで通学バスでの下校中、イスラム過激派に襲われて頭を銃撃され、一時、重体となりましたが、イギリスで治療を受けて一命を取り留め、学校に通えるまでに回復しました。 マララさんは16歳の誕生日に当たる12日、ニューヨークの国連本部に招かれ、パン・ギムン事務総長を始め、世界各国から集まった500人の若者を前に、演説を行いました。 この中でマララさんは、回復に向けて支援してくれた世界の人々に感謝したうえで、「過激派は銃弾で私たちを沈黙させようとしたが、その試みは失敗し、むしろ多くの人々が声を上げるようになった」「私は弱さや恐怖を乗り越え、力と勇気を得ることができました」と述べ、会場の大きな拍手を受けました。 そして、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができる。教育こそが解決の道です」と述べ、女性と子どもの権利を守り、等しく教育の機会が与えられるよう各国の指導者を含め、世界の人々に訴えかけました。 国連では2015年までに世界の子どもが初等教育を受けられることを目指す「ミレニアム開発目標」を掲げていますが、アジアやアフリカの発展途上国を中心に今も5700万人もの子どもが学校に通えておらず、マララさんの訴えを通じて国際社会に一層の協力を呼びかけたい考えです。 マララ・ユスフザイさんとは パキスタン北西部出身のマララ・ユスフザイさんは、2009年、今から4年前に匿名でネット上にブログを掲載し、女性が教育を受ける権利を世界に向けて訴えました。 当時、マララさんの地元は、イスラム過激派組織「パキスタン・タリバン運動」の事実上の支配下に置かれていました。 ブログでは、女性の教育を否定し、学校の爆破や脅迫を繰り返すイスラム過激派におびえながら通学する同級生たちの様子が記され、まるでアンネの日記のようだとして話題を呼びました。 その後、政府による軍事作戦でイスラム過激派が撤退すると、マララさんは実名で欧米メディアに紹介され、イスラム過激派に立ち向かった少女として大きく取り上げられるようになり、おととし、パキスタンの国民平和賞を受けました。 その一方でイスラム過激派に狙われるようになり、去年10月、通学バスでの下校中、オートバイに乗った2人組の男に襲われ、頭に銃弾を受けました。 犯行を認めたのは、「パキスタン・タリバン運動」でした。 意識不明の重体となったマララさんは、イギリスの病院に移され、治療を受けます。 パキスタンをはじめ、世界各地で、マララさんの回復を祈る集会などが開かれました。 その後、マララさんは、奇跡的とも言える回復を果たし、イギリスの学校に通えるまでになりました。 また、事件後に寄せられた寄付金を基に「マララ基金」を設け、貧しくて学校に行けない子どもたちの支援に乗り出します。 先月からマララさんの地元で、基金を通じて、40人の女の子が学校に通い始めました。 マララさんの勇気をたたえ、ノーベル平和賞の候補者としても名前が挙がるなど、子どもの教育を訴えるマララさんの活動は世界の注目を集めています。 ロンドンでは学生たちが見守る マララさんが治療を受け、現在も暮らしているイギリスでは、女子学生らが集まって、インターネット中継でマララさんの演説を聞きました。 会場となったロンドン市内のホールには、女子学生を中心に、300人余りが集まりました。 マララさんの演説が始まると、みな真剣な表情で耳を傾け、時折、拍手も起きていました。 そして、女性の教育の必要性などを訴えるマララさんの力強い言葉に、涙を見せる人の姿も見られました。 参加した女子学生の1人は、「あんなにつらい経験をしたら普通の人は諦めてしまうが、彼女は自分が信じるもののため、みんなのために戦っていて心を動かされました」と話していました。 また、別の女子学生は、「10年後、振り返った時、きょうがマララさんが何かを変えた日になるかもしれず、その瞬間を見ることができ、とても感激しています」と話していました。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130713/k10013018451000.html