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■ 平和教育をどうすすめるか

5つのテーマ
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 本会会員の実践ではありませんが、マララさんのノーベル平和賞受賞に伴うスピーチを教材として授業で取り組んだ報告を頂きました。掲載のご承諾をいただきましたので、紹介します。(2015.1.30)

マララさんのスピーチを用いた学習(3)
  マララのノーベル賞受賞演説を授業で取り組んで

岩間龍男(いわま たつお 岐阜県立高校勤務)

(授業で取り組んだ演説部分)
マララのノーベル賞受賞演説(最後の部分)
(A)
Dear sisters and brothers, the so-called world of adults may understand it, but we children don't. Why is it that countries which we call "strong" are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace? Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard? Why is it, why is it that making tanks is so easy, but building schools is so hard?
(B)
We are living in the modern age and we believe that nothing is impossible. We have reached the moon 45 years ago and maybe will soon land on Mars. Then, in this 21st century, we must be able to give every child quality education.
(全員)
Dear sisters and brothers, dear fellow children, we must work… not wait. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me. You. We. It is our duty.
(A) 
Let us become the first generation to decide to be the last , let us become the first generation that decides to be the last that sees empty classrooms, lost childhoods, and wasted potentials.
(B)
Let this be the last time that a girl or a boy spends their childhood in a factory.
Let this be the last time that a girl is forced into early child marriage.
Let this be the last time that a child loses life in war.
Let this be the last time that we see a child out of school.
(全員)
Let this end with us.
Let's begin this ending ... together ... today ... right here, right now. Let's begin this ending now.
Thank you so much
ding ... together ... today ... right here, right now. Let's begin this ending now.

1.実施クラスについて

 3年生の英語Ⅱの授業は、数学と抱き合わせの選択科目で、生徒数がわずかに11名の授業クラスだった。冬休み明けすぐに、3年生はすでに学年末考査も終わってしまっていたので、いわば進度を気にせず授業ができる条件があった。この授業の選択者は、いわゆる私文系の生徒たちであるが、すでに全員進学先が推薦で決まっていたようであった。この授業では入試問題の問題集をやっていたのだが、11月あたりからきわだって授業に対する関心が薄れ、無気力な状態にあり、授業の低迷が続いていた。そんなこともあって、あと3時間しか残されていなかった授業では、テキストを離れ、マララのノーベル賞受賞演説を教材として取り組むことにした。

2.授業の概要

 3時間の授業は以下の手順で行った。この授業では家庭学習は要求せず、授業時間内で学習させることとした。
1時間目
  1. ①マララの演説の英文(資料のプリントの部分の英文)のテープリスニングとコーラス・リーディング。 
  2. ②マララについての来歴や銃撃のあらましを述べたプリント(ウイッキペディアから取った資料)を読む。
  3. ③フレーズ訳のできる読解プリントに取り組ませる。
2時間目 
  1. ①マララの受賞演説全部のDVD映像(日本語字幕)を視聴する。(27分)
  2. ②読解プリントの続きを取り組ませる。
  3. ③読解プリントを終了した者には、フレーズごとの視写プリントを取り組ませる。
3時間目 
  1. ①プリント部分のみ、今度は英語の字幕でDVDを視聴させ、マララが言うと同時にその字幕を読むことを指示した。
  2. ②全体でのコーラス・リーディングでの音読練習。
  3. ③グループ内での個別の音読練習。
  4. ④教師によるグループ音読の「みきわめテスト」
  5. ⑤前に出てのグループごとの音読発表 
  6. ⑥再度、音読部分のDVD(日本語字幕)の視聴
作成したプリント
  1. ①マララの来歴の資料、授業で使う演説部分の英文(1枚)
  2. ②フレーズ訳読解プリント(2枚)
  3. ③フレーズごとに日本語訳を書いた英文視写プリント(1枚)
  4. ④マララの受賞演説の全文訳のプリント(1枚)
  5. ⑤リズム記号とカナ振りをした音読プリント(1枚)

3.1時間目の授業

 1時間目の段階では、DVDを入手しておらず、音声は家でyou tubeで再生したものを直接マイクで録音したものを使った。これを聞かせて、コーラス・リーディングをした。資料も慌てて用意したので、ウイッキペディアのものを使わせてもらった。私が読み上げた資料は裏表の分量で少し長かったので、前半まで読んで、後半は次の時間に読むことにしようかと生徒に聞いたら全部今読みたいと言ったので、最後まで読むこととなった。マララは自分たちより一つ年下の女の子のことなので、結構強い関心を持ったようだった。その後は、資料の英文のフレーズ訳読解プリントに取り組ませた。2枚のプリントだった。この時間内に1枚目のプリントは、ほとんどの生徒が終わり2枚目を取り組んでいる途中で鐘が鳴った。ひとりの男子生徒は2枚目も終えていた。普段使用していた入試問題の長文に比べると、この演説のプリントのほうが簡単だった。入試問題の長文のほうが難解でつまらない内容であるのに対し、マララの演説のほうが簡単であるにもかかわらず内容が深くて心を動かす英文であったので、授業に取り上げて良かったと思った。

4.2時間目の授業


前半後半  

 2時間目の段階では、幸いにも新英研のホームページから、マララのノーベル賞受賞演説と国連での演説のDVDをぎりぎり前日の日曜日までに取り寄せることができた。そこで、受賞演説27分すべてを日本語字幕で生徒に視聴させた。この全文を知って初めて、授業で取り上げている最後のクライマックスの演説部分も理解が容易になると思ったからだ。残念なことに11名中2名の生徒が、うっつらうっつらしていたが、他の生徒たちは興味深げに食い入るようにDVDを見ていた。DVDが終わったとき、「17歳なのに、すごいね!」という声が聞こえてきた。「Why is it? Why is it?」とマララのジェスチャーを真似しながら、声を上げている生徒がいた。さらには同じ生徒が、「Why is it that countries which we call strong…」と読み始めた。また次の一節も印象的だったようで、「Let us become the first generation」と何度も繰り返している。これはキング牧師のI Have A Dreamの最後の部分のLet freedom ringを繰り返す台詞を彷彿とさせる台詞だ。演説の中で繰り返し出てくるフレーズが、生徒にもとても印象的だったようだ。またこの演説では、strong対weak, hard対easy, the first対the last, begin対ending, countries which we call strong are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace といった、単語と単語、文と文の対比が巧みで素晴らしい。だから生徒は、DVDが終わった途端に、マララの振りを交えながら、英語の台詞を言いだしたのだと想像される。この情景を目の当たりにして、やはりこの演説は音読教材としてとてもすぐれているとの強い印象を受けた。マララの演説の全文の日本語訳を生徒に配布し、読解プリントの答え合わせは省略をして、3時間目は音読だけの授業にしようと決めていた。

5.3時間目の授業

  音読の授業については、山田昇司先生の『英語教育が甦えるとき』(明石書店)のp.260-p.266の実践を参考にしてやってみようと思っていた。また、山田先生の前著『授業は発見だ』の中の群読について述べた部分(p.48-p.50やp.177-p.181)も読み直してみた。『英語教育が甦えるとき』では「対話群読」という音読実践について述べられている。「群読」は「リズム読み」の次の段階にくる「表現読み」の一種であるとのことだ。この「群読」は、「個人プレゼン」に比べると、複数の生徒で音読するので生徒に負荷が少ないことが想像され実践がやりやすそうなので、取り組んでみたい読み方であった。例によって、この「群読」を使った授業を自分がすると想定して、ご迷惑も顧みず、p.260-p.266の部分について電話で質問させていただいた。
(質問1)
p.262に「群読」のシナリオが示されている。A,B,A&Bの区別がプリントの中にあった。私はこれはAとBの二人の学生が対話音読をするのだと思っていて、そのことを山田先生にお聞きしたところ、Aは2~3名の学生、Bも2~3名の学生で、5~6名のグループで文字通り「群読」するとのことであった。また、このプリントは例であって、シナリオはオリジナルのものを学生に考えさせたのかとお聞きしたところ、学生に考えさせると楽をするシナリオを考えてしまうので、このシナリオで「群読」させたとのことであった。私はこの話を聞いて、同じようなマララ演説の「群読」音読プリント(本稿の冒頭にあるプリントに仮名振りとリズム記号を付けたプリント)を作成し、クラスの11名の生徒をAとBの2グループに分けて音読させることにした。

(質問2)
教師の前でみきわめテストをしたとの記述がある。その後、クラスの前でグループによるプレゼンをさせたのか、またその時にプレゼンを見ている学生たちには、他者評価の用紙を渡して評価の活動を入れたのかと質問をした。これについては、クラスの前で当然プレゼンはしたとのこと。しかし、ここでは他者評価はせず、プレゼンが終わった時に聴衆は拍手をしただけであったとのことであった。私が他者評価を気にしたのは、自分のグループ発表が終わると安心してしまって、私語や他事をする生徒が出てくるといけないので、他者評価をやらせて、他グループの発表を見ている時も、なんらかの活動があったほうがいいのではないのかと思ったからであった。しかし、私のクラスの場合、わずか2グループだけで、他グループのプレゼンを聴くのは、わずか1回だけなので、私語とか他事は心配する必要はないではないかとのことになり、他者評価の用紙は作成しないこととした。

(質問3)
「リズム読み」と「群読」などの「表現読み」は、同じではない。「リズム読み」の後に「表現読み」をすると、学生たちはどのような読み方をするのか。この質問については、「表現読み」の段階でも「リズム読み」は残っているとの答えであった。また、学生は「表現読み」をしているつもりでも、なかなかそのようには聞こえないこともよくあるとのことであった。

(授業の様子)
 最初に、マララの演説の授業で扱っている箇所にDVDを頭出ししておいて、英語の字幕で視聴させながら、同時に音読をしてみなさいと指示をした。しかし、マララの演説を聞いているとかなりゆっくり話しているように聞こえたが、実際にそのスピードに合わせて読むことはかなり難しく、あまりしっかりと音読できなかった。
 今回の私の授業では、リズム記号とカナ振りをした「リズム読み」プリントは用意をした。しかし、「リズム読み」から「表現読み」への移行がどのようになされるのか想像がつかなかったこと、このマララの演説の3分程度の英文をすべて「リズム読み」するのは通常の読み方に比べると結構ハードなこと、「リズム読み」と実際のスピーチでは読み方が違うのではないかと生徒から指摘されるかもしれないことを考えて、「リズム読み」はぜず、通常のコーラス・リーディングで一斉練習をした。その後、生徒を1班6名、2班5名に分け、グループ練習をさせた。グループ練習の様子を見ていたら、1班は6名全員でやっていたが、2班はAグループとBグループ別々に練習をしていた。その練習のあと、「みきわめテスト」を1班より始めた。そのテストの最中に、2班のAグループの男女3名が私語を始めてしまったのは、残念なことであった。「AB合同で練習しなさい。」と指示しておけば、このようなことは防げたかもしれない。1班については合格として、次に2班にみきわめテストをやってみた。1班に比べ練習量が不足していて、ところどころ間違えて読む所もあったが、時間もなかったので、そこで打ち切った。
 「リズム読み」のグループテストの時は、ペンの音がそろっていること、声のリズムがそろっていることという合格条件があり、合否がつけやすい。生徒たちも自分たちの失敗がすぐに分かるので、教師が「ストップ、ミス1回目」と言っても生徒たちは納得してくれる。ところが、この「群読」あるいは「表現読み」のみきわめテストの合格基準は、明確ではないので合否をつけるのが難しいと感じた。次に、全体の場で前に出て発表させた。この時に「マララになったつもりで読むこと、できたらどこかで振りを入れること」と指示をした。1班は無難に発表をまとめた。Me You We It is our duty. の台詞の所では、マララと同じように指で自分を指し、次に目の前のYouに指をさし、最後に全体weに指を指す「振り」を付けて「群読」していた。2班の発表では、Bグループの読み方に抑揚がなく日本語のような「のっぺらぼう」の読み方をしていたのが気になった。この時、思ったことは、やはり全体練習の時「リズム読み」でやっていれば、このような読み方にはならなかったのではないかということであった。実際のマララの演説を聞いていても、すごく強弱がはっきりしていて、それを聞きながらリズム記号をつけられるのではと思ったくらいだった。その上、この演説の最後の部分は、繰り返しが多いので、リズム読みをするのに、教科書に出てくる英文より、はるかにリズム読みをしやすい英文であったことを思うと、「リズム読み」をしなかったことが悔やまれる。2班の生徒が読み終わった時、1班のある生徒が「私たちの班が勝った。」と言っていたが、私も同感であった。
 授業の最後にもう一度、DVDでこの部分を視聴した。生徒たちは今度は日本語字幕で見たいと言ったので、日本語字幕で見た。DVDが終わった時、「先生、この授業は今日で最後ですか。」と聞いてきた。「ああ、最後だね。」と答えたら、数名の生徒がマララの最後の台詞を使って私にこう言った。「Thank you so much.」と。おお、マララになりきっているじゃないかと思った。このマララの堂々として澄み切った声の演説を聞いていると、何か自分も英語を話したくなる気持ちにさせるようだ。私はありきたりの返答でこの授業を終えた。「You're welcome.」と。良くも悪くも、この授業は終わった。生徒たちが、高校の時にマララの演説を練習したなぁと懐かしく思い出してくれることを心密かに願う。

6.授業の後、思ったこと

 上記でみてきたように、わずか3時間のこの授業は決してうまくいった授業実践ではない。しかし、入試問題の長文をやっている時に比べると、今回の演説の授業には強い関心を生徒は示したとの手ごたえを感じた。そして、教師自身が感動したものを教えるということの大切さを改めて思い知らされた。すでに進路が決まってしまっている生徒を相手に、入試問題の長文の授業をやることの虚しさを感じてきただけに、そのことをなおさらに思う。これまでと違って、この授業がある日がとても楽しみだった。
 この授業ではこれ以外に、英語の歌を2曲(カペンタ―ズのWe've Only Just Begunと映画「タイタニック」のテーマ曲My Heart Will Go On(セリーヌ・ディオンの歌)を投げ込み教材としてやったことがあった。この時は「リズム読み」をしてから歌の練習をしていた。今回、マララの演説のリズム読み音読プリントを配布した時、生徒は「あ、この読み方、前にやったね。」と言って、その読み方で読もうとした生徒がいた。また、普通に読んでいても記号が大きいところが強く読まれるということを意識しながら読んでいた生徒も見受けられた。そんなことからも、繰り返しになるが、この演説もリズム読みからやるべきであった。そして、もし機会があり、このあとに述べる「8.教材としてのマララ演説への懸念」が解消できれば、再びやってみたい教材である。
 この授業は私ともう一人の先生で担当していた。もし生徒が目を輝かせて授業を受けることができる教材があったら、もっと積極的に取り入れるべきだった。担当者も二人であれば、合意もしやすい。多忙の中に埋もれてスケジュールをこなすことで精一杯の毎日の中、その多忙を口実として、そのようなことができなかったことを悔やんでいる。

7.授業実践の記録をすることについて

 山田先生の『英語教育が甦えるとき』で教えられたことが、もうひとつある。それは授業実践を記録することについてだ。この本のp.39には新任の時の研究授業の赤茶けた指導案と自分が感じたことのコメントのことが記載されている。もう35年以上前のことであろう。よくそんな記録が手元に残っているものだと感心をした。山田先生はその後、数十年の間ずっと研究会、教研、学会などでの発表などの機会をとらえて、ことあるごとに自分の授業の記録をとってこられた。前著の『授業は発見だ』(あすなろ社)の「あとがき」にも「先生方の勧めがなければ、本箱の片隅で眠っていたたくさんの資料はやがてリサイクルに出される運命だったでしょう」との記述がみられる。このことを見ても、山田先生がいかに過去の実践の記録を綿密に取り、大切にしてこられたのかが読み取れる。実践記録を書くことは、その実践が積み上げられ、ステップ・アップをするきっかけとなるということが容易に想像できる。私など文字通り「爪の垢を煎じて飲まなければならないなぁ。」と思わずにはいられなかった。そんなことから、今回のわずか3時間の授業について記録を書いてみようと思いたった。こんな記録を書くだけでも多大の時間を要した。このような記録は本来、自分の授業日誌として保管しておけばいいものだろうが、第3者が見て理解できる記録にしようとすると相当に事細かに説明を含めて書くことになり、その中で新たな発見も出てくる。また、誰かが読んでくれて、何かコメントがもらえるかもしれないという期待も持てる。そして、本研究会(註)のように少人数の限られた空間ではあるが、自由にMLで投稿することができる環境があることは有難いことである。それも、いつでもいいし、分量も全く自由ということで、便利な世の中になったものだと思う。
:寺島隆吉先生が主宰する「国際教育総合文化研究所」のことで、私はこの研究所の準研究員です。これは寺島先生が岐阜大学を定年退職されてから起ち上げられたもので、旧「記号研」を発展的に解消して現在の研究所になりました。)

8.教材としてのマララのノーベル賞受賞演説への懸念

 マララの演説は、彼女と同年代の高校生には特に強いインパクトを与える。DVDを見終わると、マララの台詞を真似て生徒が英語の台詞を言いだすことからも、そのことが分かる。そのようにインパクトの強い演説だからこそ、一方で強い懸念もある。マララはタリバンに銃撃された。このこと自体は許し難い蛮行である。しかし、この蛮行そしてマララの演説は、一歩間違うとアメリカの対テロ戦争を正当化する根拠にされる恐れがある。9.11事件後、アメリカが攻撃したのはアフガニスタンであった。当時、9.11に関わったとされるアル・カイダのオサマ・ビン・ラディンを引き渡さないとして、アメリカはアフガニスタンのタリバン政権を軍事攻撃して崩壊に導いた。翌年には大量破壊兵器を持っている悪の枢軸国としてイラクを攻撃、フセイン政権を崩壊させた。そして結局、大量破壊兵器などなかったことが後に明らかにされている。これらの戦争で夥しい数の人々が犠牲となった。これらの戦争は他国の政権を力づくで、アメリカの政治的経済的都合で倒す暴挙であるとしか、私には思えない。アメリカはこのマララの演説を自分たちの都合のよいように最大限に利用することが想像される。また、現状のままでも、アメリカの対テロ戦争は正しいと多くの人々の心に刷り込まれてしまう可能性がある。マララはアメリカについてどのように思っているか。「無人機での爆撃はテロリストを増やす温床になる」とオバマ大統領に述べたとのことだが…。またこのノーベル賞受賞演説の中でも次のように述べている。Why is it that countries which we call "strong" are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace?これを読む限り、「私たちが強いと呼んでいる国」は、アメリカを指しているとしか思えないのだが…。そして、この演説を教材に使うことによって、学生たちに世界で展開してきたアメリカの戦争政策は当然のことだとの思いを持たせてしまうのなら、自分としては不本意としか言いようがない。そのことを簡単にではあるが、生徒にも述べたが、説明不足言葉足らずのところがあり、しっかりと伝わったかは怪しい。そんな懸念を持った。
(2015年1月20日 記)  

追記)

 アメリカのアフガニスタン(2001年)とイラク(2003年)への軍事攻撃の犯罪性を告発する翻訳書『アフガニスタン悲しみの肖像画』(明石書店2004年)amazon『冬の兵士』(岩波書店2009年)amazonを共訳書として出版させていただいたことがある。
 『アフガニスタン悲しみの肖像画』は、「平和な明日を求める9.11遺族の会」(Peaceful Tomorrows)(9.11で肉親を失った人たちで構成され、アメリカの報復戦争に反対した平和団体)が、アメリカの空爆によるアフガニスタンの被害の調査をし、その結果をまとめた小冊子の翻訳書。Peaceful Tomorrowsのクリスティナ・オルセンさんYouTubeへのリンクたちが来日した時、彼女のコンサートを私の地元岐阜で開催した。この催し物の活動の経緯については、新英研の東海ブロック集会でレポート報告させていただいた。
 『冬の兵士』は、2008年3月に「反戦イラク帰還兵の会」(IVAW)が主催したイラクとアフガニスタンからの帰還兵による 「冬の兵士」 公聴会での勇気ある兵士たちの証言集の翻訳書。2009年に「冬の兵士 日本ツアー」が東京、名古屋、沖縄などで開催され、私も名古屋集会に参加、夜の懇親会では帰還兵たちと交流をした。「平和をめざす翻訳者たち」TUPによるこの本の翻訳プロジェクトの活動および「反戦イラク帰還兵の会」の紹介も、新英研東海ブロック集会でレポート報告させていただいた。
 以上のような翻訳活動に、かつて情熱を傾けたことがある私にとっては、「教材としてのマララ演説への懸念」には切実なものがある。

文中のリンクや動画の埋め込みは、本ページへの掲載にあたりサイト管理者が付け加えたものです。

(2015年2月2日掲載/2月5日最終更新)

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