■ 神奈川新英研9月例会
2008年9月
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 2008年9月20日、大倉山記念館にて、参加者15名。

●近況、最近取り組んでいること

  1. 残念ながら、目新しいことは特にやっていません。
  2. 新たな取り組みはありません。
  3. 7月の例会で得た、和田玲先生(順天高校)の授業方式、うまくいくか様子見中。
  4. 音読
  5. なるべく生徒主体の授業を行うように心がけています。7月の例会で学ばせていただいたことを参考にしています。

●授業でうまくいかないこと、悩んでいることなど

  • たくさんありますが授業の内容そのものよりも授業に参加させることに苦労しています。
  • 1学期元気だった生徒が夏休み明けで疲れていて、勉強に集中してくれなくなりました。
  • 生徒が物をすぐ無くす。2学期に入って、教科書が見つからない生徒がいる。相変わらずペアワークの時に相手と喋れない生徒が多い。
  • 生徒の拒絶

●神奈川支部事務局への意見

  • 毎月充実した会報を送っていただいていることに感謝いたします。
    (会報担当より:これからも無理せず続けていきます!)
  • 教授法を学びたい(特に騒がしい生徒向けの)。

●夏休みの研修報告

研修報告1:「フィリピンの貧困と英語」

泉康夫さん(川崎市立白鳥中学校)

泉さん

  • レポーターから:この夏、ACCE(読み方は「アクセス」)というNGOが主催するスタディー・ツァーに参加し、フィリピンの貧困にほんの少しふれてきました。研修報告では、ACCEの活動をお知らせするとともに、フィリピンの社会状況を鋭くえぐる歌(フィリピン・イングリッシュの聞き取りにトライ!)をご紹介します。「フィリピン人の心の歌」と多分言ってもいい2曲(タガログ語)も併せてご紹介します。
  • フィリピンは2回目(2005年の夏に浅川先生とミンダナオ島へ)。本屋には英語とタガログ語の本だらけでアメリカのペーパーバックが山積み。

フィリピン

  • フィリピンでのエピソード(その1 聖職者は尊敬されている):泉さんが悪いと思いつつ、他の人と同様にタバコを路上で捨てたら、警官が見とがめて2000ペソ(約5000円)の罰金を科そうとした。同行していたロヨラ神父が間に入って「Can’t be」(ありえない)と言ったら、「せめて1000ペソ」と粘っていた警官は引きさがり、聖職者に権威があるのを目の当たりにした。
  • 現地で聞いたフィリピン事情(その1「言語」):言語が111あり、National Unityが作りづらい。1時間離れると別の言語になる。ミンダナオ生まれだとファーストフード店の仕事を得るにもレベルの高い英語力を要求されるという。
  • フィリピン事情(その2「子ども」):1500万人の子どもがいるが、1日に300人が栄養失調で死亡。20万人がストリートチルドレン、400万人が児童労働(タバコの1本売り、花売り)。数字でイメージですると、100人の小学生が卒業時には67人になり、中学は42人、大学になると10人、仕事に就けるのは2人。
  • フィリピン事情(その4「政治状況」):モロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front 略称MNLF)とはイスラム教徒の分離独立を求めるフィリピンの反政府武装勢力。モロとはフィリピンのイスラム教徒のことである。モロ・イスラム解放戦線(MILF)は、1977年にモロ民族解放戦線から分派・独立したモロ(フィリピン・ムスリム)の解放組織。(以上Wikipedia)
  • スタディツアーで:2日目にアペロクルス地区へ。 1週間前に2人の銃殺事件を目撃した女の子に会った。電気を購入している人から分けてもらおうとした人とのトラブルが原因。その日の夜はホームステイ。3日目にトンド・スモーキーマウンテン2に行った(スモーキーマウンテン1は閉鎖された)。
  • フィリピンでのエピソード(その2 歌で交流):スペイン300年の支配から独立したときの曲「我が祖国」はみんな覚えていて、第2の国歌的存在。加藤登紀子や杉田二郎が歌った「息子」は70年代のフィリピンの「アナック」が元歌。かわいがっていた息子がぐれてしまったという歌。口笛を吹き、歌ってみせたら、歌集を持ってきてくれてみんなで大合唱になった。

歌の聴き取り

  • 歌「What’s Wrong With Dat?」(What’s Wrong With That?の意味)というフィリピンの英語を歌で聞き取りをした。
    What’s wrong with dat? Day ask. (どこがおかしんだい、と彼らは訊く)
    What’s wrong with dat? (どこがおかしんだい)
    As long as der is money, no more people lonely. (お金がある限り、淋しくない)
    Da rich get only richer living in our country (金持ちはこの国に住んで金持ちになるだけ)
    Da poor get really poorer dying very lonely(貧乏人は死にかけて寂しく貧しくなる)
    Da middle class dey work deyr ass to earn more money(中流階級はもっと金を稼ぐために懸命に働く work your ass off「懸命に働く」)
    so dey can buy a visa to another country(それで別の国へのビザを買える)

参考

  • アクセス−共生社会をめざす地球市民の会(ACCE):日本とアジアの市民の相互交流や支援をすすめ、アジアにおける市民のネットワークを広げていくことを通じて、貧困のない、基本的人権の尊重された平和なアジアをつくりあげることを目的としたNGO(http://www.page.sannet.ne.jp/acce/)。
  • ミンダナオ図書館:松居友(とも)さんが館長をしており、季刊誌『ミンダナオの風』(購読料程度の寄付で年四回送付)を発行。スカラシップ支援もしている。http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/

参加者の感想

  • 私自身、20数年前、スタディツアーで10日間ほどフィリピンへ行ったことがあるので、大変興味深く聞かせてもらいました。泉さんは今回の研修成果をまた何らかの形で授業に取り入れられて行かれるのでしょうか。そのときは、また報告していただけるとうれしいです。
  • フィリピンの事実とエンターテインメント。なんだか「語りライブ」みたいでとても面白かった。泉さん、この先、エンターテイナー(芸人)になるべきです。
  • フィリピンの英語に初めて触れて楽しかったです。生徒はアメリカ英語ばかり耳にしている者が多いので「英語はアメリカだけのものではないんだよ」と言えるきっかけになると思いました。
  • アジアの英語(フィリピン)というのも興味深い。発音、綴りが違っていて難しかった。Dictationは難しかった。前後の意味を考えれば判断できたものの…。タガログ語の歌を生徒に渡してお母さんが感激したという件[くだり]は泉先生らしいエピソードでした。
  • フィリピンのスラム街で泉さんが住民と交流しているところを想像しました。「我が祖国」(フィリピンの第2の国歌と言われる曲)を口笛で…、とてもロマンを感じました。
  • フィリピンでの現状を話していただいて、貧困に苦しんでいる人々が想像以上に多くいることを改めて感じました。また、フィリピンで使われている英語と私たちが実際勉強したり、教えている英語との違いに驚きました。

「研修で駆け抜けた夏休み〜5つの研修会で聞いたレポート選りすぐり」

萩原一郎さん(横浜緑園総合高校)

萩原さん

 レポーターから:神奈川県の研修、新英研全国大会、英授研全国大会、ELEC同友会サマーワークショップ、英語教育達人セミナーと参加してきました。まずそれぞれのセミナーを概観し、その中で出会ったすぐれた実践報告を紹介します。

5つの研修

「研修(けん おさむ)氏のたどった足跡」(研修氏は萩原さんのことです)
  1. 英語教育達人セミナー:谷口幸夫氏(都立戸山高校)主催で参加費は3000〜5000円程度。1日に3〜4本のワークショップ。参加者は減少傾向。
    7月21日(郁文館にて、20名程度)
      ワークショップ「9月から定期テストづくりが変わる!」
    8月24日(昭和女子大附属高校にて、20名程度)
      ワークショップ「高校生のための音声指導から暗誦発表、劇づくりまで」
  2. 英語教育リーダー研修講座:ELEC協議会の教師による英語漬け(久しぶりの英語漬けは妙に心地よかった)。神奈川県主催の強制研修で悉皆研修をフォローしたようなもの。初めてディベートを体験、リスニング研修は面白かったが「これは…?」というものもあった。
    7月28〜30日(神奈川工業高校にて、65名)
  3. 新英語教育研究会 全国大会:8月2〜4日(岩手県花巻市にて):地震の影響か参加者は少なめ。第7分科会の松下里美さん(西東京市立明保中学校)「生徒と共に創る授業(3年間の作品を中心に)」は秀逸。自己表現を通しての生徒の見方を学びたい(次回12月13日神奈川支部例会でレポートがあります。お楽しみに!)。
  4. 英語授業研究学会 全国大会:現在最も勢いのあると思われる研究会。大会ではビデオによる授業研究、研究発表、講演、シンポジウムなど多彩な内容だが、月例会の方が学べる気がする。
    8月7〜8日(神奈川大学にて、300名以上)
  5. ELEC同友会英語教育学会 サマーワークショップ:今回最も内容が濃かった。定員があり、中学は早々に締めきられるほど人気がある。参加者は寝る間を惜しんで準備する。受講生8名にアドバイザーが4人つき、ホームルーム毎に各自20分英語で授業(プラクティス・ティーチング。与えられた教科書を用いて導入の原稿づくり導入の原稿づくりから始まりネイティブスピーカーによる原稿チェックも受けられる)を行い、その後15分の振り返り。午前中にさまざまなワークショップ。8月16〜18日(学芸大学附属竹早中学校にて、85名)
     ワークショップ「スピーチ指導について」

研修を受けるにあたって

  • 50分の授業を組み立てる土台作りが必要。Oral Method(語研)、Oral Approach(ELEC)、GDM(=Graded Direct Method)など。
  • 生徒との関係づくり、授業規律、生徒を見る視点
  • 研究会で学んだ活動をバラバラに投げ込んで50分構成してもダメ
  • 英語力と英語教授法のバランス
  • それぞれの研究会の特徴を知る(新英研の温かさ。生徒との関係づくりのノウハウ)

ワークショップ

・ 萩原さんが行ったワークショップ「9月から定期テストづくりが変わる!」
  1. 作成する前に:
    学習者への「波及効果」を考える(例えば、安易に和訳問題を出せば和訳を丸暗記する生徒になってしまう)。英語が苦手な生徒が多い場合、「勉強すれば点数に結びつく」という体験を与えることが大切。
  2. 教科書で扱った文章の出題:
    いわゆる「総合問題」(穴埋め、和訳などを一気に問う)を避ける。
    テスト問題のバリエーションを増やす(他教科の設問を参考にすると良い。例えば、国語の現代文を参考にすると「上記の文章を内容上大きく2つに分けるとき、後半部分はどこから始まるか。後半部分の最初の単語1語を答えなさい」)。
  3. 英語を書かせる試み+アンケートによる「学習の方向付け」:
    絵を見ながらのストーリー・テリングの授業をライティングへつなげる。定期試験で絵を見ながら英語で書く問題を出すことで『波及効果』が生まれ、生徒は絵を見て話したり書いたりする習慣がつく(=和訳の丸暗記には鳴らない)。
    また、テスト後のアンケートで「テスト前にどんな準備しましたか?」と問い、「何もしない」「教科書の絵を見ておく程度」「教科書の絵を見て、口に出して言う練習をする」「教科書の絵を見て、英語で文章を書く練習をする」「教科書の絵を見て、自分で文章を作り暗記する」「絵についてキーワードを書ける練習をする」「その他」の項目で訊く。(解説:アンケートで問うこと自体が学習の方向付けにつながる仕掛けになっている。良い循環をつくっていく仕掛け、見倣いたいですね…。)

参考文献

  • 萩原一郎「さまざまな研究大会に出席して」『英語教育』(2004.11)FORUMの欄で研修を振り返り、英語教育団体の横のつながり・交流、成果の共有を訴える記事。
  • 萩原一郎「自己研修が授業を変える」『新英語教育』(1995.7)

参加者の感想

  • 萩原先生は短い夏休みに沢山の研修に出られてすごいと思いました。私はまだ新英研の例会に2回来ただけなので、他の研究会との違いがあまりわかりませんが、いいところを吸収していきたいです。
  • いろいろ研修する中で英語授業実践の技を教え合ったり、獲得したり。こういう中で本物を見抜く目が養われるのでしょうね。
  • 萩原先生の研修報告はそのバイタリティに感動いたしました。また、いつもいただく、まとまったプリントは教材づくりの参考になります。
  • 萩原先生はいつも研修に参加され、授業をよりよくするために工夫されているとお伺いしています。時間をかけて、資料を読ませていただきます。
  • 萩原さんの研修への情熱を感じました。研修休暇を取る人がほとんどいない職場(中学)で、もっと意識的に取り組まないとたいへんなことになるぞと危惧した。

●実践報告(高校)

「メディアとしての教科書〜そこからどうズレていくか」

中山 周治さん (神奈川県立相武台高校)
 メディアリテラシーと英語教育という興味深いレポートでした。情報洪水の中でどうやって泳いでいくかを考える場を設けなくてはやっていけない時代になっていると感じます。その中で出てきたメディアリテラシーの手法ですが、まだ発展途上にあります。例会終了後、長文の「会報担当の感想」にお答えいただいた「中山先生のお返事」が最後に載っています。もっと議論を重ねたいですね。

定義

  • Wikipedia(ネット上の無料百科事典)による定義:メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。

中山さん

  • レポーターから
    メディアリテラシーは様々な場面で学ぶべき素養ですが、英語という教科の中ではどのように学ぶことができるのでしょうか。まずは、日本の英語教科書って何だろう?  というところからスタートしてみましょう。
  • かながわメディアリテラシー研究所
    メディアリテラシー教育に関心のある高校教職員がゆるやかにつながった研究グループ。相模原市南新町児童館(小田急線相模大野駅南口徒歩5分)で月例会を行っている。(http://kmnpas.cocolog-nifty.com
  • 自己紹介
    1962年川崎市柿生生まれ。神奈川県で教職に就いた後、一度退職し、ニュージーランドのヴィクトリア大学で日本語学科の非常勤講師(チューター)。修士論文は「マオリの識字教育」。祖母が(文字が不得手で)手紙を音読していた様子を幼い頃に見たという個人的経験から「文字を持たない人というのはどんなものなのか」ということに関心があった。その後、トンガ王国で過ごし、1993年に神奈川県で教職に再就職。2005年にかながわメディアリテラシー研究所設立。

メディアリテラシー

  • 参加者の考え
    中山さんから「メディアリテラシーとは?」と問われ、「メディアに騙されるなということ」「Critical Thinkingのこと」という回答があった。
  • 中山さんの考え(その1)
    メディアリテラシーは2つの多義的なことばを掛け合わせている(media×literacy)。ゆえに明確な定義がないが「情報倫理」「情報モラル」「情報セキュリティー」という考え方がある。倫理、モラル、セキュリティーを教えるだけでいいのだろうか。騙されないようにするのは重要なことだ。
  • 中山さんの考え(その2)
    「情報」を「解釈」する人間が存在して初めて「意味」が生じる。メディアということばはmediumの複数形であるが、歴史的には18〜19世紀のヨーロッパでは「新聞」を指し、オカルトサイエンスが全盛だった19世紀には「霊媒」を指した。(キリスト教のamenのa-m-nの「aとnのあいだ」がまさにmediumのmになっている[オカルト的解釈ですか?]。
    Wikipediaによると、amenはヘブライ語で「本当に」「然り」の意味。ユダヤ教のラビ[後にキリスト教の神父]が聖書の一句を朗読、会衆が復唱することで、聖書(丸暗記)教育を施した。が、次第に復唱がめんどうになり、会衆は「アメン!」(そのとおり!)とだけ言うようになった。)
  • 中山さんの考え(その3)
    中国語でmedia literacyは「媒体素養」と言い、「教養」がキーワードだと思う。ちなみに中国語でcommunicationは「交通」。日本語でコミュニケーションが和訳しづらいのは「なれあい」「ふれあい」「なじりあい」など「〜あい」という言葉がたくさんあり、すでに文化に入り込んでいるためだと思う。情報を受信・発信する能力だけでなく、態度・営為を指すと考えている。
  • 中山さんの考え(その4)
    生徒が感想として「これからはちゃんとテレビを見なければいけないと思いました」と書いたとする(この生徒は教師の願望をとらえてこういう感想を書いたのかも知れないが…)。その「ちゃんと」の意味を考えるのがメディアリテラシーだ。教養とは「ずらしたり、はずしたりできる」ことであり、「物事を相対化し、複眼的にとらえる視点」「批評する力」だ。英語の教材をそのまま「ベタ」に提供するのではなく、ずらして「ネタ化」していくことが必要だ。

実践例

  • 総合的な学習の時間を使って「ロゴづくり」:「Finding Logo with J.J」と題して、地元の商店街のロゴマークを生徒たちは女子美大生の学生有志と共に作った。
    ★生徒が考えたコピーとロゴの作品
    例1)美容室オーク「お客様は髪様です」+OAKというロゴ 
    例2)グリーンパーク整骨院「ゴッドハンドで治します」+手の形のロゴ
  • 教科書『Exceed』(三省堂)「The Girl with the White Flag」:
    1. 授業プリントでの工夫:は本文の抜粋と共に挿絵を描く欄を設けている。こうすることで例えば英文にあるsisterが妹なのか姉なのかというところまで、読みを深くせざるを得ない。
    2. 「The Girl with the White Flag」の写真をめぐって:白旗をかかげた少女の後ろに日本兵2人が写っている。この写真を見た人達から「子どもを楯にしている」という批判が出たため、「たまたま日本兵と一緒になっただけで楯にされたわけではない」と考えていた富子さんは公表を拒んだという。
  • 教科書のあり方:高校教科書は「匿名性が高い」「原点の要約が多い」「抽象度が高いが、完成度も高い」と言える。「原典に忠実な抜粋」ではなく「時系列をシャッフルした構成」になっていて、「コンテンツのバラエティ番組化」とも言える。
  • 絵本をどう読むか?:レオ・レオニの絵本はフランス版が『Petit Bleu et Petit Jaune』(小さな青と小さな黄)、英語版が『Little Blue and Little Yellow』、日本語版が『あおくんときいろちゃん』(日本語の題名ではすでに、青は男の子という設定になっている)。生徒たちにフランス語版を見せて、意味を想像させた。

質疑応答

  • Q1:色の範囲が日本と海外とは異なる。例えば黄色というのはフランス語圏では日本よりも指す範囲が広いようだ。そういう授業をしたのでしょうか?
    A1:メディアの授業では色を扱っている。赤なら、どういうプラスイメージ、マイナスイメージがあるかを考えさせる、など。
  • Q2:フィンランドの教科書はどんなものか?
    A2:現在NHKテレビ・ラジオで放映・放送している「リトルチャロ」のようにCD-ROMもついてクロスメディアになっている。

資料

  • 2004〜2006年度神奈川県立相武台高校『総合的な学習の時間』「メディア論」実践
    例1)「新聞記事の各社間比較」:夏の高校野球大会直後の不祥事の新聞報道を比較。大会スポンサーか否かで報道姿勢が異なる。
    例2)「消費者から見た宣伝広告の研究」:日本広告審査機構のホームページに寄せられた質問の回答に挑戦する。『車1台50円!』という印刷ミスは違反広告なのか誇大広告かどうかなど考えながら、消費者教育。
    例3)「ディズニーのお話研究」:相模原図書館資料を用いて、ディズニーが映画化した物語と原作を比較し、相違点を探す。
    例4)「報道番組の製作過程」:ニュースの取捨選択、並び順など番組編集についてテレビ朝日プロデューサーに話を伺う。

参加者の感想

  • 教科書の文章というものがメディアリテラシーの観点から、考えさせられるものであることが分かり、非常に参考になり、勉強になりました。
  • 絵(イラスト)を見ながら、生徒たちが自由に解釈し合うという授業を高校で実践しているなんて、すごく哲学的な、というより、それこそメディアリテラシーだと思った。
  • 実際、大学で「メディア論」などを履修しましていましたが、すっかり忘れてしまっているのか、言葉の意味が思いつきませんでした。次の単元にちょうど「メディアリテラシー」があるので、今日勉強させていただいたことを参考にしながら、授業づくりをしていきたいと思います。
  • 「メディアリテラシーの定義は?」と訊かれ、一方の意味しか回答することができませんでした。つまり、(特定分野の)知識・能力、(コンピュータなどの)使用能力という内容です。もう一つの内容は、読み書きの能力、識字能力、教養がある(教育を受けている)ことである。改めて「メディアリテラシーとは何か」について考えさせられました。大変刺激的な内容でとても良かったです。ただ、教科書編集はまさにメディアリテラシーを養う上で最も身近なかつ大事な教材である。生徒にとってよりよい内容のものを選択し、提供するのは我々教師の役割であると痛感した。
  • 総合的な学習の時間の取り組み例が参考になりました。最近、メディアリテラシーという言葉はよく耳にしますが、教科に渡って関われることが分かりました。『Little Blue and Little Yellow』の仏英日の比較が面白かったです。色の違いもそうですが、なぜ日本語だと青が「くん」で黄が「ちゃん」なのかが気になりました。青や緑が男性の色、赤や黄が女性の色という文化が表れているのかなと思いました。
  • 同じ教材も教科書によって違うというのが興味深かった。生徒にいかに食いつかせるか? 自分の理解力が不足しているのか、今ひとつ理解できなかったが、最後の質疑応答の中での話を伺い、若干理解できた。
  • おもしろかった。もう一歩つっこんで生徒の反応がどうだったのか、「テレビをちゃんと見なければいけない」の意味が通じ合ったかを知りたいと思った。
  • 会報担当・和田の感想(長文です…):大学時代にサークルで心理学研究会に所属し、「サブリミナル効果」(無意識化にメッセージを送る手法)、ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』で扱っていた「メタ言語」(「クレタ人がクレタ人はウソつきだ」のように対象言語とメタ言語が同一次元で述べられると自己言及のループに入ってパラドックス(逆説)が生じるが、「ウソつきだ」をメタ言語とすれば、矛盾が避けられる)のような概念を知り、また歴史学研究会で「バイアス」(先入観/偏向)のような用語を耳にし、天の邪鬼な理系の兄の指導のもと、小学生の時の愛読書が心理学の多湖輝『頭の体操』だったので「物事には裏がある」のが当然と知り、誘導尋問や大衆操作のレトリックなどに関心を寄せていたため、今回のレポートが「ゆるく」感じられてしまった。中山先生の用語「ネタ化」を聞いて、「なんだ、メタ化じゃないのか…」と思ってしまう始末。こういうバイアスのかかった(偏向的な)私からすると、メディアリテラシーという新しい観点が(失礼ですが)「そんなもの」かと思われてしまうのを危惧しています。
     9月22日の朝日夕刊にテレビマンユニオン会長・重延浩さんの「パリにて思う『テロップ考』」(TVレビューの欄)という記事で(文字テロップのせいで)「見るべき焦点、聞くべき焦点が指定され、自分で情報の重要度を選択する余地がなくなる」「視聴者は多すぎる情報、見方の限定から、少しは休みたいと思うことがあるのかもしれない」という意見がありました。意識的に「見方の限定」を強要され、無意識に操作されている我々がそこから突き抜ける、新たな視点を提供するのがメディアリテラシーだと私は思っています(禅の公案のようなものですね)。今回の中山さんの報告を伺い、大衆操作されないような人を育てるにはどうしたら…、と自らを省みる良い機会になりました。
     厳しい言葉を並べましたが、質疑応答の時間が十分にはなかったのが残念でした。レオ・レオニの絵本のフランス語版を生徒に訳させたというより、単に文字を無視して生徒たちは絵だけを見て言葉をつけたんじゃないのか、というつっこみを入れたかったですし、大学で専攻されたという哲学はどんな分野に関心があったのか、退職後にニュージーランド、トンガになぜ行かれたのか、など訊きたいことがたくさんありました。このようなことも口頭でお伝えしたかった。文字になるときつくなってしまいます。ごめんなさい。
     英語の教科書が原典の要約が多く、匿名性が高いという中山さんの指摘がすばらしいと思います。「主人公のIは誰なのか、時代はいつか、などのコンテクストを表示すべき」という点をもっと追求し、欧米の教科書の「厚さ」と日本の教科書の「薄さ」を弾劾するぐらいの勢いがほしいと思います。真実は「藪の中」ですが、The Girl with the White Flagで、少女を楯にしなかったかもしれませんが、私は日本兵は少女を「あえて」追い抜かなかったと思います。また、補足資料にあった「メディア論」ではディズニーによる「日本改造お子様帝国化」(?)を阻止するような内容でたいへん素晴らしいと感じました。ともに頑張りましょう。
    ●参考文献:川上和久『情報操作のレトリック』(講談社現代新書)
          小森陽一『心脳コントロール社会』(平凡社新書)

中山先生のお返事

  •  感想拝読しました。面白かったです。そして大変参考になりました。演劇連盟の会合さえなければ、あの後、議論できたのにと残念に思います。会報担当の方とは特に直接お話ししたかったと思っております。この方の見識は至極まっとうであり、ご本人の言われるようにバイアスがかかっているとは感じられません。私も大衆心理操作には大変興味があって、授業でもいくつか扱っていますが事例や現象を考察する程度にとどめております。というのも、たとえばサブリミナル効果などは日本でもブライアン・キーの「メディアセックス」で当時大ブレイクしましたが、数々の反証が積み重ねられ、今ではとんと聞きません。つまり心理学については面白いだけに私は慎重な姿勢を心がけております。ただ、そもそもメディアはヒトの欲望そのものですので心理学と切り離すわけにはなりません。それともうひとつ私がみなさんに伝えきれなかった(それゆえ「ゆるく」感じさせてしまった)点について若干補足させていただきます。私のスタンスについての説明です。いわゆるマスメディア批判としてのメディアリテラシー研究は運動としては有効だった時代もありましたが、現状では「ゲーデル、、」の陥穽にやはりハマってしまいます。「メタ化」のご指摘は重要で、(私は相対化という言葉でその意味を伝えようとしております)、例えばマスメディア的なものと市民メディア的なものを対峙させても体力をいたずらに消費するばかりです。またメディアリテラシーが啓蒙運動になってしまったとたんにそのエートスを失ってしまうものだと何となく諦観もしております。つねにオルターナティブなものに開かれていることが大事なんじゃないかとひとまずゆるく提言していくことが私のスタンスです。私が総務省で作った「もうひとつのうさぎのかめ」の「もうひとつ」というところにこの思いをこめております。(同省HPより授業教材をストリーミング配信しております)
     何はともあれつっこまれることによって私の話も命脈を保つことができます。今後今回の話をさらに深化させていきたいと思います。特に英語の教科書は過去のものから内容やら挿絵やらを検証していけば最高に面白いネタの宝庫です。
     トンガ・ニュージーランドについては話は尽きません。トンガ行きはそういえば当時(92年頃?)「英語研究」という雑誌に載せてもらいました。当時のトンガは封建時代で、それを打破しようと辻説法をしていた民主化のリーダーでもあるフタ・ヘル氏に会いに行きました。彼を「南洋のソクラテス」と私はネーミングしましたが、リテラシーを語る上ではスゴイ貴重な体験でした。本で読んだ古代ギリシャのメディア史が現代の南の小さな島で再現されているような錯覚を覚えました。つい、長く書きすぎました。みなさまによろしくお伝えください。余裕があればメーリングリストなどで転送していただけるとうれしいです。          中山周治



(2008年12月14日)