■ 高知新英研8月例会
2003年8月
2000年‖2001年‖2002年‖3月4月5/7月8月11月
 8月例会は第28回教育講座とドッキングした形で、会場の高知大学の一室をお借りしました。

午前

 午前中は教育講座の記念講演に参加しましたが、共同通信の記者として長年にわたり「少年事件」を追ってきた西山明さんのお話は、
「子どもたちのさまざまなつぶやきや不可解に見える行動は、(家族を取り巻く過酷な)この現実を必死に生きるために子ども自身が編み出した“自己表現”ではないか、と思っている。ときには少年たちの歯止めがないような日常の振る舞いや言葉遣いに慨嘆するときもあるが、この時代に死にもせずによく生き残った、という感慨の方が私には強い」
(集英社新書『少年サバイバル・ノート』より)
などの言葉に見られるように、淡々とした口調ながらドキッとさせられることが多く、いろいろ考えさせられました。 

午前

 午後はクーラーもない教室に移動して、今年の新英研全国大会の報告会を開きましたが、30分ほど待っても私と報告者の竹内先生しかいません。
 仕方なく鳥飼玖美子さんの講演のテープを聴いていると、やがて後から3名おいでてくれて5名になりました。テープを最後まで聴いたあと、竹内先生から講演のレジュメや資料の説明と、大会全体の大まかな報告をして頂きました。
 同時通訳として活躍されている鳥飼さんならではの説得力のある内容にうなづきながら、「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」にもとづいて、英語教員に「研修」を押しつけたりTOEFLやTOEICなどを受験するよう煽り立てている現在の動きは、現場に能力主義と分断を持ち込み、結局のところ子どもたちをますます苦しめるだけだ、との思いが強まりました。
 以下は参加者の感想の一部です。

★あれよあれよと言う間に「英語」が教科として定着してしまいました(小学校)。現場でのさまざまな問題を言えばきりがありませんが、今日参加して強く思ったのは、日本人の心で、ことばで、外国・外国語・日本とのかかわりを…語ってほしいと思いました。とってつけたような英語(みんなではありませんがALTやCIRに差がありすぎる)で子どもたちの学習をないがしろにしてほしくないと思いました。
日本の教育の積み上げてきた(ていねいさ、どの子にもわかるように…)良さを生かしてこそ、より深く学べるんじゃないかと思いました。(もちろん、これだけがすべてではありませんが)インスタント英語では、下痢を起こしてしまいます。

★全国的に見て教員研修、とりわけ英語教員におしつけられている研修の無意味さは、話し合う中ではっきりしてきました。小学校にまで広がった英語教育は、子どもに混乱と母国語の力をつけられない不幸をもたらすであろうと思います。急いで子どもを、どのような方向に連れて行こうとしているのか。
英語嫌いと、ますますの現場教員の苦労が増えるというのは明かですのに…。

(連絡先:阿波谷博史)
(2004年2月14日)